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とある27歳の自己満備忘録。日々の投稿が誰かにとって少しでも役に立つのならこのうえない喜びだ。

まさか

 どこの誰がみてくれるのか分かりませんが、きっと「自己満なブログ」はじめてみました。

内容については誤字や文章的に問題ありだと思います。ご了承ください。

 はじめた理由はたくさんあります。でも書こうとすると、すごく長くなりそうなので、いつか書こうと思います。なので今回は省略します。

 

自己紹介

 まずは自己紹介からですが

僕はこの間の3月まで大学生をしていました。

2月末の卒論の締め切りまで、卒論をやってました(苦笑)

 もっと前からやっておけばよかったなぁ。

書き終えるまで、パソコンの前でそんなことを嘆いてばっかりでした。

 しかし、テーマは興味があったもので

かつ、自分が決めたものなので、時間を忘れて没頭することができました。

 

 なんやかんや大学は卒業することができました。

とりあえずよかった。

ほんの少しですが、肩の荷がおりたことを思い出します。

でも、それはほんの気休めでしかありませんでした。

 今は世間でいう無職という立ち位置にいます。

 

卒業式

 卒業式でとある来賓の方が、「人生には上り坂、下り坂、そして、まさかというものがあります。」という言葉を話されていました。

 

 その言葉を聞いた時、思わず生唾を飲みこんでいたことを思い出します。

まさか、自分が卒業式の時点で、このまさかに直面することになるとは

1ヵ月前の僕は考えもしなかっただろうな。

 

 なぜなら、僕はこの時点で内定を頂いた会社に退職の決意表明をしていたのだから

それも、研修期間中の出来事でした。

 

 過去にSNSで新卒が1日で辞めた。とか、一週間で辞めた。見たことがありましたが、どうせ誰かが冗談で投稿してるんだろ。都市伝説だろ(笑)

そう思っていました。でも、まさか、これを自分が現実にしてしまうとは。。。

 

 卒業式後の謝恩会では、友達やお世話になった先生とこれからについて話すたび、頑張れよと肩をたたかれるたびに、頑張る!とか頑張ります!なんて嘘と演技をするたび、情けなくて情けなくて行き詰まる感情が破裂しそうでした。

 気づいたら嫌いだったビールを進んで空けていました。少しでも気を明るくするために飲んでいたのだと思います。

 これから、みんなが頑張るぞー!って中で、実は...なんて言えませんでしたから。

ごめんなさい。

 

 就活

僕には夢がありました。

その夢はというと

 

いつか地元に帰ってきて、地元を活性化させて、地元に貢献したい。というもの

 

これは、保育園からの付き合いで、進路の関係で遠く離れていても、今でも、遊ぶ仲の親友と語り合ったものでした。

その日は、夜の22時から6時間も電話で、色々話していたのを思い出します。

 

でも、今の自分の力では、とても活性化できるような力は備わっていない。

今は外にでて色々学んだ上で、地元に尽くそう。そんな考えがありました。

夢を実現するために、勉強するために今は先進的な取り組みを実施している

企業に就職するんだ。

 

そんな考えや思いを内に秘めて、就活を行っていました。

時が過ぎ、なんとか自分が思い描いていた企業に内定を頂くことができました。

 

卒論

 就活が落ち着いたので、卒論を進めよう。

そう思い立って、自分には何ができるのか、何を成し遂げたいのか

色々考えた結果、今までお世話になった故郷をテーマに掲げて取り組みました。

そして、卒論を進める際に、状況を把握するため1件、1件、調査依頼を行いました。

 その際、故郷の方には大きくなったな、いつか戻って来いよ、頑張れよといった、たくさんのお言葉や果物とか野菜など頂き、そんな体験をするたびに胸が急に苦しくなりました。

 中でも、昔からお世話になっている近所のおばあちゃんからは絶対に帰って来いよという言葉。昔から今に至る地域の成り立ちを良く知るおばあさんからは、故郷はおめら若者のためにあるから帰りたくなったらいつでも帰って来いといった言葉。

今回の調査で知り合ったおじいさんからは、活性化のためならいつでも力貸すし、話聞くからといった言葉。

地域について色々と情報提供をしてださったおじいさんには、今度、機会あったら釣りにつれてってあげるわという言葉。

 自分の選択は本当にこれでよかったのか?そう考えるようになりました。

また、現代社会の問題の1つでもありますが、僕の地元では、ここ数年で少子高齢化がより目立つようになりました。

 具体的に、今年度には小学校の合併や高齢者の死去による住宅の撤去、老人ホームの増加など、僕が見てきた故郷が随分と変わりつつあります。

 また、僕の生まれ故郷では住民が、ここ50年で半分に減ったそうで、しかも在住している多くの方は高齢の方です。こう考えた時、僕が帰ってくるときには、故郷は存在するんだろうか。思い出がつまった大好きな地元の景色が消えてゆく。

そう思ったら、いてもたってもいられなくなりました。

しかし、こんな思いを引きずったまま行ったら、就職先で絶対うまくいかない。

気持ちを打ち消すために、考えないように努めました。

 

アルバイト先で

僕は就職の関係で、アルバイトを引っ越し日のギリギリまでやっていました。

この時には卒論を終えて、ある程度、気持ちは落ち着いていました。

いや、無理やり落ち着かせていたという表現のほうが正しかったかもしれないです。

 辞める最後の2週間前に、普段、仲良くして頂いた社員さんとこれからについて話す機会がありました。

内定の話は、夏ごろにしたのですが、詳しいことはその時は話しませんでした。

どこで働くのかと聞かれ、県外の企業ですと言いました。

 それに対し、社員さんは「は~故郷を捨てるのか」とため息の混じった少し冗談半分に話されました。

 この時、僕はモップ掛けをしていたのですが、ふと立ち止まって

反射的に思わず声を荒げて「そんなことありませんよ!」と口にしたのを思い出します。

その時、抑えていた、自分の選択は本当にこれでよかったのか?といった考えが、今にもこみ上げてきて胸が苦しくなりました。

なんとか気持ちを落ち着かせましたが、就職したあとも、この気持ちは消えることはありませんでした。

 

それから

 あっという間に入社式の日になり、配属先の発表がありました。

発表前に希望の部署ではないことは察していました。

なぜならば、希望通りの部署とは全く違うエリアの社宅に入っていたからです。

 実は、社宅発表がある前から、あらかじめ想定はしていました。

決まってしまったものはしょうがない。気持ちを切り替えて頑張ろう、もしかしたら、自分が知らない可能性を知ることができるかも、そう思い初日を乗り切りました。

 しかし、帰宅してから抑えていた感情がでてきてしまいました。

前から述べている本当にこれでよかったのか?というものです。

その日は、緊張や慣れない暮らし、配属先での不安からくる精神的疲労により

食欲が湧かず、コンビニで買ったコッペパンを一口だけ食べて寝ました。

それ以上食べると、もどしそうになったからです。

僕が借りていたマンションの付近には国内でも

超有名な企業でヘリポート付きの

巨大ビルがありました。

自分と同じく新卒の人達だったと思いますが

スーツを綺麗に着こなし堂々と

背筋もしっかりと伸びていて

仲間達と楽しく帰路を辿っている様子をみると

対照的というか惨めな感情で押しつぶされそうになっていたのを思い出します笑

 

 明日になれば、大丈夫だろう。疲れているだけだ。そう言い聞かせ無理やり寝ました。

 

しかし、そんな自分に喝を入れる日々は長く続くことはありませんでした。

 一度は決心したものの、何度も抑えてきた思いが出てきては、抑えてはの繰り返し。

例の思いが頭をよぎり、集中することができない。感情の浮き沈みが激しくて、仕事をする上で覚えなきゃいけいないことがまるで、頭に入ってこないのです。

同じことを何度か聞いてしまう自分に嫌気がさし、次第にそのままにしていくようになりました。

 そんな状態で、日々覚えなきゃいけないことはどんどん増えていく、取り残されていく自分から、次第に恐怖と不安に追い込まれ、周りは淡々と業務をこなしていく姿を見るたびに劣等感に襲われ、どんどん追い込まれていきました。

こういう時は、好きなことをする、趣味に没頭すること、思い切り泣くことで気持ちを整理して乗り越えてきましたが、

この時は何もしたくないし、泣くこともできませんでした。

 1日1食、それもコンビニで適当にパンを半分食べて、うちに帰ったら23時を過ぎていて、電気もつけずに速攻お風呂に入ってすぐ寝る。途中で目が覚めては6度寝くらいしていました。10時を回っても、カーテンを開ける気にもなれない。電気をつける気にもならない。

しかも、この間に夢をたくさん見るのです。悪い夢を

思い出せるものとしては、知らない人に銃を突きつけられる夢や、強盗犯に襲われる夢、歯がぐらついて欠けたり、すべて抜け落ちたりする夢、薄暗い木造の建物の中で自分と同じくらいの日本人形に追いかけられる夢など、連続で。

そのたびに、息を切らしている自分に気がつき、寝汗に悩まされました。

 親や友人からラインで仕事?頑張れといったメッセージも頂きました。

入社して早々、こんなこと話せない。相談したくても相談はできませんでした。

というより、この時は誰とも本当に関わりたくなくて、すごく苦痛で、適当な空返事を送って非表示にしていました。ごめんなさい。

 だんだん悪いことしか考えられなくなり、真夜中のマンションの最上階から飛び降りて、今にもこの世から消えてしまいたい。そんなことを思うようになりました。

 こんな生活を続けていたある日、心身ともにうまく立ちあがることが難しくなりました。

熱を測ったら38℃を超えていて、こんな状態では周りに迷惑をかけるだけ。

思い切って会社に電話してお休みを頂きました。

 普段お昼から出勤だった僕は、この日、朝早く目を覚まし、布団に入り、なぜかこれからについて考えるようにしました。

しかし、思うように考えることができない。心から湧き上がってくるのは、今すぐにでも消えてしまいたい。これはいけないと思い、忘れるために寝ることにしました。

風薬を飲んで寝れば解決されるだろう。そう信じて。

 再び、目が覚めた時、時計の針はお昼の12時を指していました。

その時、ふと思ったのが、会社を辞めたいというものでした。

あまりにも早すぎないか。自問自答していました。

でもこの時、何を思っていたのか自分には、このまま消えるか、会社を辞めることの

2択しか考えることはできませんでした。

 結果的に会社を辞めることで、自分の中で話を進めていました。

死んでしまったら、本当に本当の終わり。奨学金の返済だってある。

ましてや、今死んだら、一体どれだけの人に迷惑をかけることになることになるのか。あまりにも無責任すぎる。我ままにもほどがある。

こんな感情を抱いたままで仕事をしていては、必ずボロが出る。

外の人々を相手にする仕事だから、会社の評判に繋がる。このままいけば、膨大な迷惑をかけることになる。

であれば、まだ、外に出ていない時点で辞めれば、損害は少なくできるのではないか。

なにより、世の中を良くしようと毎日を頑張っている社員さん達にこんな思いをもった自分の存在は大変失礼だ。

 そもそも、自分は何をしにきたのか。

そう考えた時、夢を叶えるために勉強するため。

でも、とても今の環境ではそれを学ぶことはできないだろうと結論は出ていた。

なぜなら、配属先は希望の業種、業界が全くことなっていたから。

でも、業種、業界は違えど他の業界で役に立つ共通したものはあるはずだ。

もちろんそうだと思う。でも、このまま続けたら会社に多大な迷惑をかけてしまう。

本当に壊れてしまう。

この時、僕には考え直す余裕すらなかった。そこまで追い込まれていたから。

 

 その次の日のお昼ごろ、上司から心配の電話を頂きました。

その際、お話したいことがあります。と迷いなく無意識に電話越しで伝えていました。

そのあと、19時から2時間30分にあたり、対話を通して、考え直さないかと変わる気はないかとお言葉を頂いたのですが、ここでは、すべて否定してしまいました。

なぜなら、こうもしなければ今後、多大な迷惑をかけることになってしまうから。

それでも、こんな愚者の話を怒らずしっかりと企業の方は聞いてくださいました。

 

 辞めてから会社を出た後は、自分はなんてわがままで愚か者なんだ。子供なんだ。

罪悪間で一杯になりました。

 新卒で希望通りの配属先じゃなくても頑張り続けている人は、この瞬間に数えきれないくらいるのに。歯を食いしばりながら、必死に耐えて頑張っている人もいるというのに。

企業の方は多大なお金と時間を割いて、選考にあたって迎えてくださったのに。

 それでも、こうもしなければ、今後、多大な迷惑をかけることになってしまうから

早めに決断をしなくてはいけなかった。

 

 悪いのはすべて僕です。

就職活動の際は、冷静に考えて就職活動をするべきだった。

そうすれば、内定先の企業や社員さんに迷惑をかけることはなかったのだから。

 一方で今となっては、再出発の機会を与えて下さった、前就職先の企業の方々には感謝しかありません。

 とはいえ、超短期退職の僕は、今後の就職活動においての風当たりは想像を絶することになることは言うまでもないです。

今はどちらかというと、絶望のほうが大きいですが、それでも、いつか笑い話にできることを信じて、そして、夢をかなえられるように頑張ります。