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とある27歳の自己満備忘録。日々の投稿が誰かにとって少しでも役に立つのならこのうえない喜びだ。

拝啓~4年前の自分へ~

拝啓

 

4年前の自分へ

ついこの間、無事に27歳を迎えることができました。

今は元気になりました。もっと言えば毎日が楽しくなりました。

 

4年前に新卒で入った会社を超短期退職という形で

当時、今まで生きてきた中で、おそらく一番の絶望、奈落の底を味わったと思います。

 

学生生活は大変なこともあったけど、講義やサークルを立ち上げ活動を通して、貴重な経験をすることができましたね。みんなで誕生日をお祝いしたり、鍋パーティーしたり、大人数でアルツ磐梯にスノボに行ったり、真夏に海岸でキャンプしたり、夜遅くまでだべって講義に遅刻したり、夜遅くまで残ってみんなで課題解決に向けてがんばったり、耕作放棄地を開拓して最終的に無農薬米を作って、販売までは至らなかったけどメディア関係の方々と協力して、お世話になった方々にふるまうこともできましたね。

本当に素敵なお友達、先生方に恵まれ日々充実していましたね。

 

卒業してさあ次のステージへ出発→超短期退職

 

まさかこんな結末になるとは思っていなかったですよね(笑)

帰り道、先の不安と精神的疲労で買ったいちごジャムとマーガリン味のコッペパン

3口食べるのやっとだったり、揚げ物が食べられなくなったり

すれちがうキラキラ充実してそうな新卒の人たちを見ていると惨めな気持ちと同時に

嫉妬で押しつぶされそうになりましたね。

帰社時には22時を過ぎていて、都会特有の生暖かい空気に包まれながら、電車の中でべたつく手すりに掴まりながら疲れ切ったサラリーマンたちの顔を見て

勝手に同情してましたね。

このまま夜の闇に消えていきたい。何度思ったか。

 

でも、あの時本当に壊れる前に

思い切って辞めたことは今思えば間違いなく英断だったよ。

 

退職の手続きを終えて

新潟の空に戻ってきたとき、曇り空であ、新潟の空だって思えたあの頃の安堵感は

何年経っても忘れられませんね。

無理言って新潟空港までおじいちゃんに軽トラで迎えに来てもらって

帰り道に色々話していく中で、情けなくて号泣してた時に

また、がんばればいいさっていって貰えたのは忘れられないな。

その年に

おじいちゃん、おばあちゃん(今は寝たきり)を旅行に連れていけてよかったな。

 

当初は精神的に疲れていたこともあって半月ほど家で休んでて

いざ、畑の手伝いといった時に体が思うように動かなくて衰弱しきってたの

思い知らされたな。

4年生の時に狂ったように10キロ以上毎日走れてたのが噓なくらい

悪い意味で習慣の恐ろしさを改めて気づかされたな。

 

話は飛ぶんだけど、つい先月末にお仕事を辞めました。

辞めた理由は人生において次のステージに進むため。

 

そこではお仕事を通して、本当に貴重な経験と素敵な人たちに会うことができましたよ。

そして、自分の絶対的な軸を作ることができたし可能性を広げることができましたよ。

 

最初は全然動けなくて、叱られるほうが多くて大変な面もありました。

けどそれは自分を良い方向に変えていくためにも必要なことで

何より、ダメなところはダメと遠慮なく指摘してくださった先輩達には感謝しかない。

 

「叱られるうちが花」という言葉がありますが、周りの人に感謝するだけでなく

指摘してくださる人のへ感謝も忘れず、今後とも大事にしていきたい言葉です。

 

他にもこの仕事を通して

何に対しても自ら動くといった姿勢が備わりました。

最初は、接客業に務めたのに情けないことに躊躇したりしましたが、

習慣化されいつしか

お客様の様子を見て言われる前にこちらから動く。遠慮がなくなりました。

普段の買い物でも、旅先でも気になることがあったら聞く。

交流の場でも気になったら自ら話を聞きに行く。

すごく世界が開けたし、人に会うことが楽しくなった。

人生がより楽しくなった。

このことは先輩方のご指摘ももちろんだけど、仕事を通じて何百何千何万と

たくさんのお客様に出会えたからだと確信しています。

 

他に伝えたいことがあるけど、4年前の秋口に中国の武漢

新型コロナウイルスっていう感染症が出てきて

世界で爆発的に流行しました。

各国の経済、あらゆる業界がどん底に落ちて

日々感染者が増えつづけ、死者の増加、世界的に大混乱になりました。

外に出るとき、人と会うときは必ずマスク。三密を避ける。

マスクの値段が数千円とものすごい時代が訪れました。

日々見えない敵に怯えながら、戦いの日々が続きました。

しかし、各国の政府、研究者、医療従事者の方々をはじめとした人々の想像を絶する努力、人々の地道な努力によってマスク無しの生活が今戻ってきました。

 

前文を踏まえて務めていた会社が大打撃を受けたのはいうまでもないけど

コロナ過で休館せざるを得ない状況がはじまり、

見切りをつけていく辞めていく人もいました。

全国的に体力がないホテルや旅館は破綻や買収が行われていたようで

コロナ禍で会社がきっと危機的状況になっていたにも関わらず

社長は社員全員をなんとしてでも守ると言われていたそう。感謝しかないよな。

 

ある程度感染が落ち着き、政府は経済も大事なのでGO TOキャンペーンを始動。

そして、引き続き県民キャンペーンなども継続。

人手不足に加え繁忙期を思わせる日々倍増する予約の数

すごい時だと予約システムのサーバーがダウン、3秒に一回ぐらいのペースでお客様の問い合わせの外線電話。今も記憶に新しいです。

 

会社的には業界的には本当に助かった政策。いうまでもないです。

しかし、必然的にお仕事の種類も増え、お客様の数も増えれば、確率的にイレギュラーな事案も増える。仕事がすすまない。

正直かなりしんどかったの覚えています。数か月ほぼ毎日残業。そんなこともありました。

でも、振り返ればすごく充実していたと思います。なにせひとりではなかった。

大変な時は部門を超えてみんなで協力してなんとかする。

部門を超えて多くの従業員の方と仲良くなれたのを思い出します。

個人的に会社全体が大きな家族のように見えました。

 

はじめは早く帰りたい。残業何時までしなきゃいけないんだろう。

なんて考えてましたが、自分が手伝うことによって少しでも誰かの負担が減るのであれば、

自分の頑張りでお客様が喜んでくれるきっかけづくりになるのであれば、

ありがとう。助かった。と言われるたび

いつしか、誰かのために頑張りたい。

絶対的な信念、軸を得られることができました。

 

すごい達成感、チームプレーの大切さ、人のあたたかさ

接客業の尊さを知ることができました。

 

4年前のブログに

今はどちらかというと、絶望のほうが大きいけど、いつか笑い話にできることを

信じて、夢をかなえられるように頑張るとあったけど

 

笑い話になりましたよ!

夢はまだ叶えられてはいないけど新たな夢ができましたよ。

叶えるために必要な経験、絶対的な軸を得ることができ

素敵な人たちに会えましたよ!

そして、あなたは大切な人にも巡り合うことができましたよ!

あの時、再出発に向けて頑張ってくれてありがとう 4年前の自分

 

敬具

 

長文失礼失礼しました!